うつ、離婚と休職、35歳のおじさん。

2022年9月から休職しているおじさん。うつになって、離婚(予定)し、0歩進んで2歩下がる日常を送る。

うつになったおじさん【2か月目】

おじさんはうつになるも、1か月の療養ではよくならず、休職が2か月に延長したのであった。

 

ここに至るまで、職場からも、両親からも、誰からも、非難する声を投げてくる人はいなかった。そう、妻を除いては。うつの治療の本に書いてある「家族のサポートの仕方」の真逆の言葉を投げてくる。まぁ、これまでと変わらないやり取りだが、それが心を蝕み、大きなストレスとなってきた。

 

 

それでは、おじさんの2か月目の様子、症状を述べていく。

 

 

 

日内変動がつらい

うつ病人は朝がつらい。

 

起きれない。立ち上がらない。頭が重い。体も。指先から頭まで、どこに指令を出しても、動こうとしてくれない。さぼっているわけではない。低血圧でもない。

 

気分も沈み、体の感覚も鈍い。

 

精神疾患になる前と後では、脳内のスイッチで、動作のオンオフができていたのが、どれだけスイッチを押しても、反応がない。

朝6時~10時辺りが特に。ここ2か月で、出勤していた時の、朝6時前起きは、ただの一度も達成できていない。模擬出勤を想定して、朝だけは、体内リズムの調整のために、毎日起きようと願っていたけど、一度も叶わなかった。

 

夕方になると、少し元気を取り戻し、活動的になる。

好きなテレビを見ようとか。お風呂に入ろうとか。当たり前の生活を少しばかりは遅れることに安堵する。

 

35年間生きてきて、何かをサボった記憶はほとんどなかった。

そんな自分が、もうお手上げ。意志が弱い、ように見えるけど、そういう精神論や根性論では太刀打ちできない、言葉やアドバイスではどうにもならない、体質の変化が起きてしまっている。もちろん、悪い方に。

 

うつを治すには、十分な睡眠、栄養がある食事、朝散歩といった運動が必要条件だという。

 

わかっているけど、できない。かじりついた知識では、自分の療養生活を変えるまでにはいかない。弱音ばかり、自責ばかり。良くなる未来が描けない。経済的な困窮には陥っていないけど、自分の未来がわかりやすく、絶望している。それは、暗いトンネルで、上も下もわからない、暗闇にいて、ただ、ただ、混乱している。逃げ道なんてなかった。

 

おっさんずフィッシュ~新しい趣味を探す~

体調が一向に快方に向かわないので、結婚後、すっかり無趣味となっており、ストレス発散の機会が全くなかったので、経験のない釣りを始めることとした。

 

無心となってやれることが欲しかったのだ。

 

釣り開始初日。自転車で、タックルベリーに向かう。店員の木の良さなお兄さんに、初心者が揃える一式を尋ねる。

 

どこでどういうものを釣りたいか、等を聞かれて、手始めに近所でできるものを、と伝え、近所の川で釣り堀スポットとなるものを教えてもらう。グーグルマップで目印をつけ、そこをデビュースポットとした。

ロッド 4,000円

リール 6,000円

その他(ワーム、針、ラインなど) 3,000円程度

 

合計13,000円程度の出費となる。ほんとの初心者セットを中古の道具から見繕ってもらい、準備は万端。

 

お兄さんの会話の節々に、「こうすると楽しめますよ」とアドバイスをくれる。

少し、違和感を覚えつつも、なるほどと相槌を打つ。

 

さぁ、実際やってみると・・・・

15日出向き、1日2~3時間粘る。

その釣果は、『0』。15日間も行ったのに、1匹も釣れない。バスだけでなく、ブルーギルとか、小さい魚も釣れない。

 

そういえば、釣り具のお兄さんは、楽しめるとは、言ったけど、「釣れる」とは一言も言わなかったな。

 

ただ、通ったスポットの年配のおじいちゃんは、何匹も釣ってたので、教えてもらった場所はきっと正解だったのだろう。

 

おじさんの新しい趣味は、ストレス発散にならず、むしろ、うつうつとしたフラストレーションを溜めるだけで終わってしまった。(本当はもう少し続けたかったのだが、その後の療養生活で、ある決心をし、続けられなくなってしまった)

 

カウンセリングを通して、見えないものを見ようとして

 

新しい趣味など始めつつ、それが、改善のきっかけとはならず、足掻いているだけの日々であったが、通院している心療内科に、カウンセリングの実施をお願いすることとした。

 

通常の診察では、5~10分程度と、どうしても、症状の説明だけで終始してしまい、本質的な改善につながっていない感触があったのだった。

 

主治医に相談し、別の曜日なら、カウンセリングが空いているとのことで、カウンセリング後に相談する医師は主治医と異なってしまうが、別曜日で開始することになったのだ。

 

カウンセリングでは、自責の念が強く、その考えを治す、認知行動療法的なアプローチをしてもらおうと考えていた。

 

しかし、カウンセリング開始数分で、別の事柄をずっと話している自分に気づく。

 

カウンセリング終了の時間、30分間ずっと。

 

それは、これまで、妻から、どんな暴言を吐かれてきたか。

 

どんな、脅迫をされてきたか。

 

無視は当たり前。睨まれるのも、日常。

ひどいときは、包丁や鈍器で殴りかかろうとしたり。

自分の両親の侮辱したり。

友人の悪口を言ったり。自分の好きなものが価値がないと言ったり。

思い出すだけで、はらわたが煮えくり返る。

 

すべて、日記で、つけていたから。思い出せるし、当時の感情もありありと残っている。これは、列記としたモラハラだ。暴力だ。言葉で人の心を殴り、自己中心的で、人の尊厳を踏みにじる行為だ。

 

そうだ、数年前に、警察にDV相談の電話をしていたんだ。

携帯を見せろと、包丁で脅されたり、友人と会うことを制限されたりしたとき。

誰にも相談できずに。その際も、非常に親身になり、相談にのってくれ、家にまで、様子をうかがいにきてくれたり(近所で盗難が頻発しているという体で、妻に気づかれないように来てくれた)

 

僕が、うつになったのも、仕事ができなくなったのも、眠れなくなり、休める場所がなくなったのも、いや、結婚してから、ずっとだが。

全ての始まりは、家庭で妻からの暴言を受けてから、始まってた。

体調がおかしくなったのも、大きな喧嘩の後だ。

仕事が辛かったからじゃない。昇進したてで、覚えることが、多く、新規事業もあり、上手く立ち回れなかったからじゃない。

まともに、仕事ができない状態になったのは、家庭のストレスが極限まで溜まったからだ。

 

カウンセリングで、そのことに気付いた。

 

うつになったのは、妻が原因だった。

 

納得がいき、スマホに何百も残していた、日記やメモを漁る。

苦しい、死にたい、離婚したい、逃げたい。なんでこんなやつと一緒にいなきゃいけないんだ。死んだ方がマシだ。

そんな言葉ばかり。苦しみの跡しか残っていない。妻の暴言の内容と共に。

 

カウンセリングは、自分の本心を確信に変えてくれる結果となった。

 

諦めと焦りと心強さと

そこからは、離婚と脱出に向けた準備となった。

妻の実家近くに購入した持ち家から、自分が出ていく形となる。

 

この家庭問題を解消しないことには、自分の不調は治らないと思った。

つまりは、2か月ではよくならず、まだまだ先は長いということだ。

休職に入った時、2か月以内には、必ず、職場に戻ろうと考えていた自分の見込みは砕かれてしまった。

 

でも、問題が何かは、明白となった。白日の下にさらされた。

後は、行動に移すだけだ。

 

でも、それは、愛する我が子とさよならを意味もしていた。