うつ、離婚と休職、35歳のおじさん。

2022年9月から休職しているおじさん。うつになって、離婚(予定)し、0歩進んで2歩下がる日常を送る。

サラリーマンになれなかったフラリーマン

結婚して、数年。

気付いたら、望んで残業するようになった。

帰っても居場所はないから。

 

愛する我が子はいる。けれども、居心地はすごい悪い。

自分の話をすることはほとんどない。

今日何があって、何を感じたか、聞くことはあっても、話すことはない。

 

帰り道の公園で、ベンチに腰を下ろす。

午後8時。まだそこまで遅い時間じゃない。まだ妻と子供は起きている。

 

帰りたくないな。このまま、どこかに行きたいな。

そんな言葉を口にする。

 

愚痴や不満を受け止めてくれる友人はいない。

ずっと一人。

 

なんで生きてるんだっけ。何が楽しいんだっけ。

 

夜空に星が浮かんでいる。きらきら、きらきら。心が荒んでいるからか、綺麗とは感じない。

 

夜九時を過ぎて、家に帰る。妻は子どもと一緒に寝ている時間だろう。

買ってきた弁当をチンせず、洗面所で食べる。

明かりが少しでも入ると、妻の癇癪に触り、怒鳴ってくる。

「こどもがおきるだろうが!!」

子どもが中々、寝付かないのは、妻がイライラしていて、早く寝ろよというプレッシャーが感じられるからではないだろうか。口にしたら、また、ヒステリックになり、何をするかわからないから、もちろん、声にしない。君の好きなようにすればいい。

 

洗面所の暗がりで食べるご飯は味がしない。人は舌で味わうとともに、目でも美味しさを捉えているんだろう。暗闇では、口にしたものが何か、わからない。

 

無言で、急に洗面所のドアを開ける妻。

「いたの?・・・邪魔なんだけど?」

 

少し避けて、妻を通す。

イラっとするけど、顔には出さない。そんな態度や言葉はおかしいと、自己弁護しない自分も悪いのだろう。

 

夫婦は話し合いが大事です。思いやりが大事です。

話し合う前に、思いやる前に、人の人格を否定する悪態の数々には、それは無意味です。

 

フラフラ、足取りが重いサラリーマン。

帰り道、家に帰りたくないサラリーマン。

子どもは愛くるしいけど、妻の悪態の前には霞んでしまうサラリーマン。

帰宅恐怖症なんです。家に帰るのが怖いんです。

 

楽しいことってなんですか。幸せってなんですか。

結婚するとなるんですか。築き上げてこなかったのが、悪いんですか。

価値観の違い。育ってきた環境の違い。性差。年の差。

違いはそのまま、お互いの悪いところが目につき、それを執拗に追及する。

 

息苦しい。上手く呼吸ができない。家に帰り、妻の顔を見ると、体が緊張する。

平日よりも、家に長くいる土日の方が疲労がすごい。

僕の体調は、金曜日に一番よく、月曜日に悪い。土日で疲れ切って、平日に心を休めているからだ。

 

何年か前の自分の姿に同情を隠せない。

2度ほど、疲労からくる胃腸炎で入院している。その症状が出たのは、結婚してからだ。合わない他人との共同生活は、自分を摩耗して、すり減らしていた。

 

フラフラ帰るサラリーマン。フラリーマン。君の家はそこじゃないよ。

逃げてもいいんだよ。死ぬぐらいなら。自殺した方がいいな。どこで死のうかな。そんなことを考える毎日なら、全部投げ出して、何も持たずに逃げていいんだよ。

死んだらそこでお終い。死ななかったからこそ、言える、今だから言える。

逃げて、死なないで。ただ、逃げて。立派な夫じゃなくてもいい。家族を支える夫じゃなくてもいい。離れても、子どもを想うことはできるよ。

 

まだ、うつから復職していない自分だけれども、当時の自分に一言だけ届ける。

 

「死にたいほど苦しいけど、孤独でひとりぼっちだけど、ただ、死なないで」

 

一言が長いか。

 

今は、妻と別居して、テレビのバラエティー番組を見て、笑っている自分に驚いた。

自然と笑顔が出てくるなんて、何年ぶりだろう。

 

死ななくて、よかったね。

おじさんがうつになって辛かったこと【ベスト3】

うつになると様々な症状に悩まされる。

人それぞれ、出てくる症状は異なる。

誰もが経験するのは、睡眠の乱れであろうか。後、気力の減退。倦怠感もそう。

 

おじさんが、うつになって(診断書には抑うつ状態と記載)、辛かった症状ベスト3を述べていく。

 

 

 

1位 自責の念、それのループ

 

うつになる入口に、自責の念が非常に強かった記憶がある。その症状は休職する半年前から現れていた。

「お前はこんな簡単仕事もできなくなった、新人でもできることだぞ、なんてダメなやつなんだ」

 

「この会議のリーダーはお前だぞ、ろくにファシリテーターもできず、何をしているんだ」

 

「言葉が出てこない、頭も回らない、自分ってこんなポンコツだったのか、今までの努力はなんだったんだ。こんなことじゃ、管理職なんて夢のまた夢だ」

 

ダメなやつ・・

 

ダメなやつ・・

 

死んだ方がマシ・・・

 

言葉は人を支配する。

何かミスが起きると、その事実に対し、歪んだ認知が発生し、自動的に自分を攻撃する。執拗に、必要以上に。

 

妻との衝突から、不調になり、仕事に影響が出てきた際にも、職場のメンバーは誰も、僕を非難しなかった。仕事のパフォーマンスが異様に悪くとも。休職する以前は、重要な案件や、厄介な案件で誰にも属さないタイプのものは、よく自分が処理していた。

大きく外さず、かつ、スピード感を持って、対応していたからだ。

だが、そんな仕事力は見る影もなく、新人がこなす、雑務さえ、パニックになり、対応できない。

 

僕にとっては、自分を責める理由も材料も、十分すぎる程、そろっていたのだ。

 

この症状は、休職してからも続く。

どこからが、うつ病で、いつからが、うつ病か、その境界線は非常にあいまいで、グレーだ。客観性も持ち合わせているからこそ、自分の不出来が理解できる。

 

自分を追い込み、傷つけ、何故かそれで、体裁を守った気でいる。自責の念。それが、一番苦しい。

 

2位 不眠、寝ても寝足りない

うつ病患者で、快適な睡眠環境を実現している人はいない。

 

昼夜が逆転し、夜型生活を行っているか、いつまでも寝て、過眠に陥っているか。どちからだろう。

 

僕の唯一の抵抗は、午前様を跨がず、布団で寝ていたことだ。

もちろん、ぐっすり眠れるわけではない。それでも、布団で横になる行為が、正常な人間の証であるような、生活のリズムだけは大きく崩さないように気を付けて、療養生活を送っていた。

 

しかし、夜中の2時、4時と途中覚醒し、朝の目覚めは、徹夜したか、飲みすぎた二日酔いの朝みたいに、気分は沈んで、睡眠による、体と脳の回復感は一切なかった。

 

心療内科から、睡眠薬が出されていたが、効いたり効かなかったり。

薬の服薬量が増加し、依存性がでることが、危惧され、医師には、深刻ではない、睡眠の乱れと説明していた。

 

しかし、十分な睡眠を取れない日々が続き、朝は、目覚めが悪く、結局、昼過ぎにトボトボ起きだす生活が続いた。

 

午前10時前に起きだすことが非常に多かった。

午前8時なら、自分を大いに褒めてあげた。

どちらにしても、夜中に何度も目が覚めているので、トータルの睡眠時間は、4時間程度だったと感じる。そのため、日中も眠気が強く、午後に1時間以上昼寝してしまうこともしばしばである。

 

寝ようとしても、よく眠れない。

自分が置かれている現状を考えると余計だ。目をそらし、無心で、夢の世界に行こうとする。すればするほど、いけなかった。焦りの気持ちが、心を満たし、誰もいない、僕のことを誰も知らない世界に逃げ出したくなった。

 

3位 人生初の腰痛

35歳になるまで、腰痛を感じたことは、ただの一度もなかった。

ジムでトレーニングしていたし、仕事中も意識的に席を立ち、じっとしていることが少なかった。姿勢は猫背で悪かったけど、腰をやられて、動けないとか、重いものをもって、やってしまった経験はゼロだった。

 

そんな自分は、腰痛になった。

 

腰に電気が走り、これ以上無理したら、何かが折れる気配がした。

鈍く痛み、顔も歪む。

 

肉体的な疲労はもちろんあったが、きっかけとなる、衝撃に覚えはない。

メンタルがおかしくなると、並行して、体もおかしくなっていた。

座っているだけでいたい。横になってもいたい。

すみません、腰痛舐めていました。整体やマッサージに通う人の気持ちがよくわかった。

 

そのほかにも、倦怠感、希死念慮、感情の消失、若干の言語障害、記憶力、集中力の低下、死んだような顔つきとかいったものが出ていた。

 

後、文字が読めない、人との会話ができない、理解できないといった、脳の機能低下が怖かった。一生自分はこうなんじゃないかと、認知症になったような、そんな沈んだ気分だった。

 

読み書きができなくなるのは、辛かった。これは、やっぱり、仕事にも大きく支障出たし、2位ぐらいかも・・

うつになったおじさん【3か月目】

おじさんのうつによる休職も3か月目に突入。

 

ただ、職務上の取り扱いは、「病気休暇」となっており、その期間の限度が90日間。おじさんは、その休暇を底まで使い尽くすこととなった。

 

焦りと不安。

 

果たして、自分はここから、社会人としてやり直せるのだろうか。

元の職場に復帰できるだろうか。

そして、一番の原因である、家庭の問題。

そう、答えはもう出ている。

ここから、逃げ出そう。

 

今まで、コマンドの中で、ずっとあったけど、勇気がなくて、選択しなかった。

逃げるのコマンド。

逃げ切れるだろうか。ゲームの設定では、ボス戦では、使用できず、雑魚敵との闘いでも、失敗することがある。

でも、これは現実だ。逃げても、失敗しても、かまわない。死にはしない。死ぬよりはマシだ。死ぬこと以外かすり傷といった人がいたけど、きっとあの人は、うつになったりせず、自分の不安をまた、面白いネタに昇華しているんだろうな。自分とは別の人生に思いをはせる。いいな、うらやましいな。でも、その人になりたいかと問われたら、なんか違う。人のいいとこどりの人生を楽に生きていたいだけだろう。

 

おじさんには、友達がいない。話相手になってくれる人は、ごく少数いるけど、気楽に長く、連れ添ったりする仲の友人は、結婚や引っ越しとともに、音もなく、気づいたら、疎遠になった。メンテナンスを怠り、今更、何の用だ状態。わかってる、自分が望むのもお門違いなのも。ただ、この苦しいんだか、悔しいんだかの思いの吐きどころがないだけ。悲しい人生。

おじさんのうつ、療養生活は3か月目に突入。

 

・新生活の準備

・決まらない賃貸

・追い込む、人の心なき人

 

新生活の準備

うつになった大きなかつ直接的な原因は、カウンセリングを通して、「家庭のストレス」であることが、判明した。大きく頷き、自身でも納得感があった。

心身ともにボロボロの生活を送ってきた。何年もの間。

鏡を見ると、目に力も光もない自分が写っている。あぁ、死の香りがする顔ってこれだって、自分で思って、ぞっとした。

うつには、希死念慮がまとわりつく。

 

妻にはlineで、出ていく準備をすると伝えたと思う。

 

そこからは、新生活のために、必要な家電・家具の購入リストの作成と、値段の交渉のスタート。

 

決まらない賃貸

新生活は、職場に割と近い、東京都内にしようと考え、スーモでいくつかの物件をあたってみる。

その中で、一番条件が良い、かつ家賃もそこまで割高でない、物件に目星をつけたが、そこが、年末直前でしか空かないとのことであった。

 

なんとか、お願いし、12月中旬に部屋の引き渡しができるようにしてもらい、ようやく転居先を決定することとなった。

探し始めてから、3週間近く、決定までに時間がかかってしまった。すぐにでも、でていきたかったのだが。

 

追い込む、人の心なき人

 

「まだ、賃貸決まらないの?」、「いつになったら、復職するの?」、「ちゃんと養育費、払えるの?」

 

そんな言葉を、睨みながら投げつけてくる。

相手は言うことだけは言って、こちらが、協議離婚の詳細を詰め、協議離婚書の取り決めをしようとすると、話しかけられると、具合が悪くなると主張し、弁護士をたてるよになった。

 

以後の、口癖が、「話しかけないで!!!」

代理人が連絡する!!!」とヒステリックに叫ぶ。

 

結婚しなければ、よかった。

家も購入しなければ、よかった。

 

ただ、子供たちは、それだけが、生まれてきてくれてよかった。

自分の人生がこれから先、このままボロボロになり続けようが、子どもたちは、どうか、笑顔で、楽しく、日々を過ごしてほしかった。

 

そんな日々が続く中、何故か、妻側が、子供たちを連れて、家を出た。なんの連絡もなく。うつで、仕事を休んでいる自分に対して、何か被害を受けたと主張するためだろう。そのころから、人をスマホのカメラで盗撮するようなそぶりを見せ始めた。

問い詰めても、知らない、関係ないの一点張り。気持ち悪い。ここにきて、被害者アピールをする、この人間がひどく気持ち悪く、離婚する決意を熱く固めてくれるのであった。

 

うつになったおじさん【2か月目】

おじさんはうつになるも、1か月の療養ではよくならず、休職が2か月に延長したのであった。

 

ここに至るまで、職場からも、両親からも、誰からも、非難する声を投げてくる人はいなかった。そう、妻を除いては。うつの治療の本に書いてある「家族のサポートの仕方」の真逆の言葉を投げてくる。まぁ、これまでと変わらないやり取りだが、それが心を蝕み、大きなストレスとなってきた。

 

 

それでは、おじさんの2か月目の様子、症状を述べていく。

 

 

 

日内変動がつらい

うつ病人は朝がつらい。

 

起きれない。立ち上がらない。頭が重い。体も。指先から頭まで、どこに指令を出しても、動こうとしてくれない。さぼっているわけではない。低血圧でもない。

 

気分も沈み、体の感覚も鈍い。

 

精神疾患になる前と後では、脳内のスイッチで、動作のオンオフができていたのが、どれだけスイッチを押しても、反応がない。

朝6時~10時辺りが特に。ここ2か月で、出勤していた時の、朝6時前起きは、ただの一度も達成できていない。模擬出勤を想定して、朝だけは、体内リズムの調整のために、毎日起きようと願っていたけど、一度も叶わなかった。

 

夕方になると、少し元気を取り戻し、活動的になる。

好きなテレビを見ようとか。お風呂に入ろうとか。当たり前の生活を少しばかりは遅れることに安堵する。

 

35年間生きてきて、何かをサボった記憶はほとんどなかった。

そんな自分が、もうお手上げ。意志が弱い、ように見えるけど、そういう精神論や根性論では太刀打ちできない、言葉やアドバイスではどうにもならない、体質の変化が起きてしまっている。もちろん、悪い方に。

 

うつを治すには、十分な睡眠、栄養がある食事、朝散歩といった運動が必要条件だという。

 

わかっているけど、できない。かじりついた知識では、自分の療養生活を変えるまでにはいかない。弱音ばかり、自責ばかり。良くなる未来が描けない。経済的な困窮には陥っていないけど、自分の未来がわかりやすく、絶望している。それは、暗いトンネルで、上も下もわからない、暗闇にいて、ただ、ただ、混乱している。逃げ道なんてなかった。

 

おっさんずフィッシュ~新しい趣味を探す~

体調が一向に快方に向かわないので、結婚後、すっかり無趣味となっており、ストレス発散の機会が全くなかったので、経験のない釣りを始めることとした。

 

無心となってやれることが欲しかったのだ。

 

釣り開始初日。自転車で、タックルベリーに向かう。店員の木の良さなお兄さんに、初心者が揃える一式を尋ねる。

 

どこでどういうものを釣りたいか、等を聞かれて、手始めに近所でできるものを、と伝え、近所の川で釣り堀スポットとなるものを教えてもらう。グーグルマップで目印をつけ、そこをデビュースポットとした。

ロッド 4,000円

リール 6,000円

その他(ワーム、針、ラインなど) 3,000円程度

 

合計13,000円程度の出費となる。ほんとの初心者セットを中古の道具から見繕ってもらい、準備は万端。

 

お兄さんの会話の節々に、「こうすると楽しめますよ」とアドバイスをくれる。

少し、違和感を覚えつつも、なるほどと相槌を打つ。

 

さぁ、実際やってみると・・・・

15日出向き、1日2~3時間粘る。

その釣果は、『0』。15日間も行ったのに、1匹も釣れない。バスだけでなく、ブルーギルとか、小さい魚も釣れない。

 

そういえば、釣り具のお兄さんは、楽しめるとは、言ったけど、「釣れる」とは一言も言わなかったな。

 

ただ、通ったスポットの年配のおじいちゃんは、何匹も釣ってたので、教えてもらった場所はきっと正解だったのだろう。

 

おじさんの新しい趣味は、ストレス発散にならず、むしろ、うつうつとしたフラストレーションを溜めるだけで終わってしまった。(本当はもう少し続けたかったのだが、その後の療養生活で、ある決心をし、続けられなくなってしまった)

 

カウンセリングを通して、見えないものを見ようとして

 

新しい趣味など始めつつ、それが、改善のきっかけとはならず、足掻いているだけの日々であったが、通院している心療内科に、カウンセリングの実施をお願いすることとした。

 

通常の診察では、5~10分程度と、どうしても、症状の説明だけで終始してしまい、本質的な改善につながっていない感触があったのだった。

 

主治医に相談し、別の曜日なら、カウンセリングが空いているとのことで、カウンセリング後に相談する医師は主治医と異なってしまうが、別曜日で開始することになったのだ。

 

カウンセリングでは、自責の念が強く、その考えを治す、認知行動療法的なアプローチをしてもらおうと考えていた。

 

しかし、カウンセリング開始数分で、別の事柄をずっと話している自分に気づく。

 

カウンセリング終了の時間、30分間ずっと。

 

それは、これまで、妻から、どんな暴言を吐かれてきたか。

 

どんな、脅迫をされてきたか。

 

無視は当たり前。睨まれるのも、日常。

ひどいときは、包丁や鈍器で殴りかかろうとしたり。

自分の両親の侮辱したり。

友人の悪口を言ったり。自分の好きなものが価値がないと言ったり。

思い出すだけで、はらわたが煮えくり返る。

 

すべて、日記で、つけていたから。思い出せるし、当時の感情もありありと残っている。これは、列記としたモラハラだ。暴力だ。言葉で人の心を殴り、自己中心的で、人の尊厳を踏みにじる行為だ。

 

そうだ、数年前に、警察にDV相談の電話をしていたんだ。

携帯を見せろと、包丁で脅されたり、友人と会うことを制限されたりしたとき。

誰にも相談できずに。その際も、非常に親身になり、相談にのってくれ、家にまで、様子をうかがいにきてくれたり(近所で盗難が頻発しているという体で、妻に気づかれないように来てくれた)

 

僕が、うつになったのも、仕事ができなくなったのも、眠れなくなり、休める場所がなくなったのも、いや、結婚してから、ずっとだが。

全ての始まりは、家庭で妻からの暴言を受けてから、始まってた。

体調がおかしくなったのも、大きな喧嘩の後だ。

仕事が辛かったからじゃない。昇進したてで、覚えることが、多く、新規事業もあり、上手く立ち回れなかったからじゃない。

まともに、仕事ができない状態になったのは、家庭のストレスが極限まで溜まったからだ。

 

カウンセリングで、そのことに気付いた。

 

うつになったのは、妻が原因だった。

 

納得がいき、スマホに何百も残していた、日記やメモを漁る。

苦しい、死にたい、離婚したい、逃げたい。なんでこんなやつと一緒にいなきゃいけないんだ。死んだ方がマシだ。

そんな言葉ばかり。苦しみの跡しか残っていない。妻の暴言の内容と共に。

 

カウンセリングは、自分の本心を確信に変えてくれる結果となった。

 

諦めと焦りと心強さと

そこからは、離婚と脱出に向けた準備となった。

妻の実家近くに購入した持ち家から、自分が出ていく形となる。

 

この家庭問題を解消しないことには、自分の不調は治らないと思った。

つまりは、2か月ではよくならず、まだまだ先は長いということだ。

休職に入った時、2か月以内には、必ず、職場に戻ろうと考えていた自分の見込みは砕かれてしまった。

 

でも、問題が何かは、明白となった。白日の下にさらされた。

後は、行動に移すだけだ。

 

でも、それは、愛する我が子とさよならを意味もしていた。

 

 

 

 

うつになった後のおじさん【1か月目】

おじさんがうつになった後の様子を綴ります。

 

 

 

体に如実にでる症状

おじさんは2022年9月から、心療内科で診断書をもらい、仕事を休んでいます。

 

人生、これまで生きてきた35年間。朝目覚めて、体が動かない、動こうとしない、脳からの指令を拒否しているような状態は初めてでした。

 

心の病。(最近は心のがん、骨折とかよく言われてます)

心と体はセットで一つなので、例にもれず、体にも症状が出ます。

 

おじさんは、強い倦怠感。布団から起き上がれない。

ぼーっと、口も顔も無表情のまま。一日を過ごしていました。

最低限のトイレと食事は、這いずりながらなんとか取っていました。

お風呂も入ることができていました。うつの体験者の本を事前に読んでいて、何日もお風呂に入れず、異臭がしていたというのを見て、それは嫌だなと、心に留めていたからです。

 

加えて、腰痛。

ぎっくり腰ではないんだけれども、鈍い痛みが続いていた。

 

一日中、休んでいるんだけれども、回復している実感がまるでない。

休養に専念していても、その効果が感じられないのが、この期間です。急性期です。

 

自責の念が止まらない。

体の外側では、「倦怠感」と「腰痛」が音もなく暴れているけど、心の中では、ずっとこんな声がする。声の主は自分。自分が自分に訴えている。呪詛みたいに。

 

「自分はなんてダメなやつなんだ」

 

「社会人失格だ。職場では自分の代わりに、職員がどれだけ大変な目にあっているか」

 

「1か月で復帰しないと、今週はまだしも、来週からはコンディションを整え・・」

 

「死んだ方が楽だ。死んだら、住宅ローンも免除され、死亡保険で、子供たちにも楽をさせてあげられる」(希死念慮はずっとありました、担当医以外には絶対伝えなかったけど)

 

自分を責める、負のループ。

 

自分を責めてると楽なんですよね。自分に厳しくしている自分は、役割を全うしているから。社会に役に立ち、家族を支える。それが35歳の父親の役割。それができないのなら、できるように、できない自分を責め続ける。決して、助言ではなく、周りへの言い訳にするように。

 

このように、心も体も休まらない1か月目の休職期間のスタートです。

 

1か月経っても変化なし

一月も経てば、ある程度はよくなるだろうと、踏んでいた自分の読みは悉く外れました。前に進んでいるのかも、後ろに下がっているのかも、わからない始末。

 

自分の立ち位置、人生の針路を見失っているのです。

 

地図も破り捨て去ってしまい、コンパスもどこかで落とした。

 

周りに目印もない。助けてくれる人も。理解者もいない。

(休職してからの妻のサポートは全く感じられませんでした。自分がうつになったのは家庭のストレスと暗に妻に伝えていたのもありますが)

 

当然の如く、心療内科では、休職延長の診断書が発行され、写しを職場の上司に送付しました。

 

しかし、自分の体調のわずかな変化に、実家で4日間程、帰省した際に気づきました。

 

「あれ、実家だと、少し気が晴れたぞ・・・気のせいかな」

 

実家でもそうでしたが、持ち家に戻ると、また寝たきりです。

 

何か、自分のうつの原因に感づいた瞬間でした。まぁ、わかりきっていたのですがね。今振り返ると、何故か、自分を責めることばかりで、なんでそうなってしまったのか、何が原因だったのか。それを突き詰めて、整理することまで、頭が回っていかなかったんですよね。

 

それが、明確になるのは、休職2か月目のカウンセリングを開始してからでした。

 

 

うつになるまでのおじさん。【うつになった理由】

自己紹介

35歳のおじさん。アラウンドフォーティー

好きなものはきゅうりと温泉。

嫌いなものはどこまで剃ったらよいのかわからない足のすね毛。

 

都内で働くも、2022年9月から休職。

2023年1月時点で、復帰の見込みはまだ先である。

 

うつになった理由

おじさんがうつになったのは、次の理由がある。

お家での長年のストレスである。

家で休むことができない。居場所がない。帰っても、疲れる。

妻と呼ばれる人間は、いつも不満げな顔をし、こちらを睨みつける、無視を決め込む。そんな日々も、世のお父さん方の日常であり、漏れなく自分もその世界に足を踏み入れたのだなと感じること、数年。

 

眠れない日が続く。

もう3か月も続く。決して一睡もできない訳ではない。夜中の2時、4時と目覚め、鼓動が早まり、嫌なじめっとした汗をかいているだけだ。

不眠症状。それが何か月も続くと、起きている日中にも影響が出てくる。特に仕事中。

 

  • 仕事中にも関わらず、頭が回らない。
  • 言葉が出てこない。そもそも何が話したいのかわからなくなる。
  • 電話が取れない。窓口で話しても、不自然で怪訝な顔をされる。
  • 腰が痛い。人生で初めての腰痛がする。
  • 首もこる。
  • 全身が鉛をつけているように重い。歩みも遅くなる。
  • 会議の内容が頭に入ってこない。何を発言すべきなのか、何が問題なのかわからない。
  • 最後に「自分なんて生きている価値がない」と繰り返し思う。一日中、何週間も、何か月も。

ぐるぐる思考である。

 

家庭のストレスで緊張状態が続き、休まる居場所がない

仕事のパフォーマンスが極端に落ちる。できていたことが出来なくなる恐怖。

自分はなんてダメなんだ。もっと頑張らないと。もっと努力しないと。

自分の価値なんてない、生きている死んだ方が楽な人間なんだ。

うつになる。

 

簡単だ。

休まる場所がない、居場所がない人間がおかしくなるのなんて、必然だ。

自分を責め、自分の悪いところ探しで忙しい。

きっと周りから見たら、「そんなに自分に厳しくしなくて、肩の力を抜いた方がいいんじゃないですか?」とアドバイスしたくなるだろう。実際、職場の上司にもそれとなくお言葉をいただいた。

性格と環境と人間関係と場所と、自分を形作るものから、取り巻くもの全部が、苦しくて、生きづらかった。「タスケテ」と呟いても、自分を助けてくれる人はいなかった。

だって、その言葉は、周りの人には届いていないから。

 

本来、休める場所の家庭が、逆の作用で、自分を苦しめる場所になっていた。

それが、うつのきっかけである。

 

うつになった世界

うつになると人間はどう変わるのか。

 

色々なものがなくなっていく。

 

まず、『感情』がなくなる。

喜怒哀楽、趣味を楽しむ余裕。テレビやゲームを楽しむ思考。いづれもない。

無色透明で、灰色がかっている。

 

『意欲』もなくなる。

うつになって、休養するようになってからは、ほぼ寝たきりの廃人になる。

一番、うつの症状が如実にでる、急性期だ。大体、1か月程度。自分も1月半は寝たきりで、何もする気が起きなかった。布団と同化し、畳と同化する。

完全に重力に反する行動しなくなる。

 

『現実感』がなくなる。

あれ?仕事にいかなくていいんだっけ。自分って、なにを家でこんなこもりきりなんだっけ?長い悪夢を見ているみたいだ。これまでの人生で、不登校も、引きこもりも経験がなかったので、ニュースが新聞で見た、働けない人のレッテルがついていることに気づけないでいる。現実から逃避している。

 

ご飯も食べますが、味は気にしません。

家事をしないと、妻が嫌な顔をするので、仕方なくしますが、皿洗いをして、ノックダウン。少しの家事が多大な労力となり、体力を根こそぎもっていきます。すぐ寝たきりです。

 

心の絶不調は、身体症状として、表出し、脳の機能低下を起こし、この世界から色を奪います。

 

おじさんの生きづらさ

おじさんはさ、ずっと我慢してきたのだ。

何年間も。

人の人格を否定するパートナーを。

居場所のない家庭を。

ずっと、仕事中に休んでいた。仕事をさぼっていたのではない。精神的に休んでいたのだ。どんなクレーマーでも、どんな厄介な仕事でも。家に帰るといる、モラハラのパートナーに比べれば、気が楽だった。

帰宅恐怖症だった。サラリーマンではなくて、そうフラリーマンの一員であった。

 

家庭で父親としても、夫としても、居場所がないと、段々と自分の存在価値の無さに嫌気がさし、自分で自分を卑下するようになる。

「こんな俺なんか生きててもしょうがないだろ。死んだらホッとするな、ようやく安心できるな」

こんなセリフを仕事からの帰り道で、口ずさんでいた。

 

おじさんは、もう幸せだったころ、楽しかったころの自分をもう思い出せないでいた。